それはぼくの勝手な思いこみなのかもしれませんが、
 「じぶんのわかっていることが、
  どこまでなのかを、いつも考えている」
 そういう人の文章だと感じるのです。
 それはつまり、逆さに見たら
 「じぶんのわかってないことについては、
  わかってないと知っている」
 ということなんだと思うのです。
 
 ぼく自身は、羽生さんやら為末さんに比べたら、
 まったくぼんやりした人間ですが、
 「どこがわかっているか、わかってないか」について、
 いつも考えているということだけは、似ています。
 
 わかっていることは、とても少なくて、
 そこに、もうちょっとわかることが加わると、
 ものすごくうれしかったりします。
 そして、それは同時に、わからないことの荒野を、
 さらに拡大してくれやがったりもします。
 アスリートや勝負師たちが、
 少しの「ちょっとわかる」を見つけるまでに、
 どれだけの苦闘をしてきたか、想像すると、
 じわぁっと尊敬の念が湧きだしてきます。
 
 誰かが先にわかったことを、
 ことばとして憶えて増やしていくのではなく、
 少なくても、じぶんの「わかった」を発見する。
 これは、すごいことだと思うんですよねぇ。
 
 でも、まてよ、さてさて、ん~?
 そういうことって、ほんとは、
 誰でもできるはずのことなんじゃないのかな?
 「わかった」の分量はともかく、
 「ちょっとわかる」ことで「わからないこと」も知る。
 誰でも、そうすればいいだけのことですよねぇ‥‥。